あれから二十一年か

早いなって思うのは私だけなのでしょうか?
それこそあの震災を知らない世代がどんどん増えていくんですね、
日航機のことも知らない人が増えていくって悲しいことです、
誰も落ちるなんて思って飛行機に乗った訳でもないし阪神地区でこんな地震が有ると思って家を建ててるわけでもない、
なのにいとも軽く人命が奪われていくなんて本当に辛いとしか言えない、
今日も震災の模様がラジオから流れてたけど若い人たちのコメントの軽さにはびっくりだ、
かくいうわたくしも戦争を知らないから何とも言えませんけどあの頃に生まれてたらって思うとちょっと いやかなり怖い、
考えてもみて下さい 爆弾がどこから落ちてくるか見えないものには分からないもんね、
飛行機のエンジン音で判断すればいいじゃないのって言われるかもしれないけどそんなもんですむ問題じゃないの、
おそらく私たちのようなものはほっておかれるかもしれませんよね、
みんな生きるのが精一杯でしたでしょうからね、
あの地震の頃も店は残ってもお客さんが来なければ仕事も無くなるって泣いてたのが鯉だったんだけど私も同じ気持ちになったのは確かでした、
地震で社宅が半壊から全壊になったし家族で助けてもらえる人は家へ帰しましたからね、
私も父のもとへ帰らされるかとひやひやしたけど友人がお風呂に入れてくれると言うので鯉のお姉さんに連れられて友人に合流しました、
鯉も私も実家が同じだったから連れて行ってもらうことが出来たんです、
「泊まってきてもいいんだからね」とおっさんは言ってくれたけどそこまで甘えるのはどうかと思って友人の娘さんの彼氏に車で送ってもらったの、
私の周りの家もほとんど倒壊してしまってましたからね、
電車や車の音がすごく近くに聞こえて怖かったし信号機も壊れたままで普通は溝なんて無い処に溝が有ったりして大変だった、
あの使い捨てのカイロが破れてしまって「電気も通ってないのに何をやってんの」と店の奥さんに言われたことが今でも思い出されます、
もうすぐ午後九時になりますが雨が降り出したようだし風も出てきました、
これではお客様来ないからこれで終ります、私も本当は二人治療したかったけど無理でした。